備 中 とと道を歩く

明治時代、笠岡の西浜(金浦)から、当時隆盛を誇った吹屋の銅山まで、その道中を六回の駅伝方式で12時間もかけて鮮魚を運ぶ「魚仲仕」という集団がいました。
魚仲仕は一人10〜12貫(38〜45 kg)ほどの鮮魚を天秤棒で前後に担ぎ、ほぼ10キロを歩きました。
当時、銅やベンガラ景気で湧いていた吹屋山中の宴で最高の御馳走は海の幸、いわゆる「とと」で、銅山の関係者達は新鮮な鰆や鰤を切望しました。
その「とと」を運んだルートが、60キロにもわたって険しい山坂を越えて続いていた「とと道」と呼ばれる道です。
今年のまち歩きは、そんな「とと道」に思いを馳せて、道中のまち並みにスポットを当ててみました。

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